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LINEMAN NETWORK特別インタビュー
WE ARE LINEMAN Vol.2
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小島義隆

Q.休日の過ごし方は?

今は自転車乗ったり、歩きに行ったりとか。

Q.ラインマンになったきっかけは?

自分のおじさんがこの会社に勤めていて、で、どうだ。ということで、縁があって入った感じで。ちょっとやってみようかなっていうのが一番最初のきっかけです。

Q.この仕事のいいところは?

やっぱりやりがいがありますよね。自分たちが作ったんだっていう誇りもありますし、これで電気がつくんだっていう。

Q.ずばりマスターラインマンとは?

やっぱり自分がいろんな広い目で周りを見られる、 それで現場を回していくっていうのがマスターラインマンかなと思います。

Q.大事にしている言葉や格言は?

自分がいつも思うのは、朝、行ってきますって言って、ただいまって帰ってくることが(大事と)いつも思ってます。

木村電設株式会社
小島義隆
Kojima Yoshitaka
1963年生まれ。60歳。愛知県一宮市出身。1984年に入社。2013年マスターラインマンを取得。

Q.会社のいいところは?

もし子供の行事があったら、社長に言えば休ましてもらえるし、調子悪ければ休ませてもらえるし、 そういうのがいいところですね。

浅倉健

Q.休日の過ごし方は?

​野球、ゴルフ、ドライブ。

Q.ラインマンになったきっかけは?

幼馴染がこの会社に入っていて、「こういう仕事があるんだよ」っていうことを聞いて、じゃあちょっとやってみようかと思ったのがきっかけですね。

Q.会社のいいところは?

日曜しか止まらない電気を触るだとか、休みは休めない時もありますわ。でも、 その代わりにね、平日に休んだり。仕事から帰ってきて、まだ自分の趣味、家族との団欒があって、 それが毎日できるような感じなんで。時間に余裕がある毎日。

Q.怪我やハプニングは?

安全対策をしてるんで、大きな怪我はないですね。

Q.大事にしている言葉や格言は?

ABC。「当たり前のことを馬鹿にしないでちゃんとやる。」それがあっての仕事だと思います。

木村電設株式会社
浅倉健
Asakura Takeshi
1969年生まれ。54歳。愛知県一宮市出身。1987年に入社。2023年マスターラインマンを取得。

この仕事のいいところは?

小島

やっぱり最初入った時は辛いかもしれないけど、だんだん慣れてきて、 順番に任されて、自分が考えた通りに仕事が進む。進むとまたやる気も出てきていいなと思います。

やっぱり自分たちがいなければ電気はないよと、

それを誇りに思って仕事につけるよという。

 

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浅倉

いろんなとこに行けますよね。同じとこじゃなくて。

僕らの東海3県、愛知、岐阜三重、 静岡も長野もという感じですけど、いろんなとこへ行きますよね。だから、何々の何々線、あ、長野かと、あ、三重かと。もういろんなとこ行ってやれるんで、意外と飽きさせませんね。あ、今度山か、あ、今度海か。近いとこか、ってなるんで。

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マスターラインマンが語る、ラインマンという仕事。

今日はよろしくお願いします。まず、自己紹介をお願いします。

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はい。小島義隆と申します。年齢は60歳。所属は木村電設株式会社です。

小島さん

浅倉健。54歳。所属会社、木村電設株式会社です。

浅倉さん

ラインマンには、本当に色々な仕事があると思います。
私も鉄塔を一から作るところ、地盤を作るところから、最後、線を引くところまで見させていただいて、本当にいろんな仕事があるんだな、とすごく感動したんですけど、小島さんのお仕事っていうのは、主に今どのようなものですか?

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送電線と言われまして、線を張ったり、メンテナンスしたり、そういう仕事がメインですね。

小島さん

では組み立てというよりも、組み立て終わった後の作業を担われていると。

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そうです。

小島さん

浅倉さんはどのような仕事内容でしょうか。

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(小島さんと)一緒で、鉄塔を建ててもらって、その鉄塔に線を張る、 で、今ある電線を張り替えるというのが主な仕事でございます。

浅倉さん

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ラインマンになったきっかけを教えてくださいますか。

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元々のきっかけは、自分のおじさんがこの会社に勤めていて、で、どうだ。ということで、縁があって入った感じで。ちょっとやってみようかなっていうのが一番最初のきっかけです。こんな職業があるなんて、やっぱり学生時代は全然知らなかったですね。

小島さん

僕はですね、友達というか、幼馴染がこの会社に入っていて、「こういう仕事があるんだよ」っていうことを聞いて、じゃあちょっとやってみようかと思ったのがきっかけですね。

浅倉さん

ところで、ラインマンという言葉は、昔からあった印象ですか。

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そうですね。うーん、昔からあったのかな。
でも、一般の人に、自分、送電線ラインマンやってるんだよって言っても、 道路に線引く人?って言われる人の方が多分数は多いと思います。

小島さん

では、小島さんが職業を語る時には昔はどのように伝えていましたか?

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送電線工事やってますって、鉄塔で線張る仕事やってるんですよって、配電とは違うんですよとは言ってたんですけども。

小島さん

昔は(ラインマンという言葉は)馴染みがない?

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そうですね。ま、今もラインマンって言って、ピンと来る人もやっぱり少ないとは思うんですけども。

小島さん

今回のインタビューは、「マスターラインマン」というキーワードがありまして、小島さんは10年以上前にマスターラインマンになられていますね。そして浅倉さんが去年(2023年)、マスターラインマンとして称号を得られたと思います。そこで、マスターラインマンとはずばり、どのようなものでしょうか?

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やっぱり自分がいろんな広い目で周りを見られる、 それで現場を回していくっていうのがマスターラインマンかなと思います。

小島さん

初めてマスターラインマンに選ばれた時はどのような思いでしたか。

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そうですね。あ、自分でいいのかっていう思いがまずありましたね。まあ、でも、やっぱりそれからは、それ以上にしっかりやっていかなきゃいけないなっていうことを思いましたね。

小島さん

ラインマンの人生って長いと思うんですけど、何歳の頃からラインマンをされているのですか?

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20歳ですね。

小島さん

それでは40年やられて、マスターラインマンになられたのが30年目。

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そうですね。

小島さん

浅倉さんの中でマスターラインマンとはどんなものですか?

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マスターラインマンって聞いた時に、スターウォーズを思いましたよ。ジェダイマスターっていうじゃないですか。あ、じゃあ、マスターラインマンっていうのは、その ラインマンの中でも色々熟知しているというイメージです。
マスターラインマンの称号ということで、いただいた時に、自分の中で、いろんなことを網羅した人たちだと。自分に置き換えて、え、俺大丈夫なのかなっていうのはあったんですけど、 自分だけじゃなくて、周りの人にそうやって認めてもらえてもらった賞だとは思っています。

浅倉さん

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おふたりとも推薦でマスターラインマンになられたかと思うんですけど、小島さんは周りからマスターラインマンとして、ふさわしいと思われてることについてどう思われますか。

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自分が最初選ばれた時は、ほんと、自分でいいのかっていうのと、これからも、やっぱり後輩のために、 自分のできることを。だんだん年重ねるにつれて、やれることも少なくなるもんで、広い視野でみんなを見守れるようにやっていきたいなとは思いますね。

小島さん

教科書がないんですよね、うちらの仕事って。こういう仕事だからこうやってくださいっていう大筋はあるんですけど、じゃあどうやってやるか。
その方法っていうか、作業でも色々何通りもあって、下に道路がある、電車が走ってるだとか、その現場によって色々やり方を変えてやっていく道しるべとなるのは、現場監督であり、マスターラインマンという称号はもらってるんですけど、ひとつのやることでもひとつじゃないよと。
じゃあ、どうやってやっていくんだ、 どんなとこに危険が潜んでいるかっていうのは、1~2年の子ではわからないところがあって。そういうところを見極めるのが僕たち。
危険の芽を摘むだとか、こういうとこに危険が潜んでるんだよっていうことを、 周知できるような位置付けが、 マスターラインマンであるかなとは思ってますね。なのでそれが、年月を経ていくとそういう称号が得られるんかなっていう風には思ってますけど。

浅倉さん

現場の数を、たくさん経験することで、こういう場合があるんだとわかるんですよね。

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何万基、今後張り替えていくっていう話があったじゃないですか。
で、僕たちもそうですけど、その先輩たちも、先輩たちが昔、若い頃いじっとった線路を今僕たちが今度張り替えている。そういう繰り返しだと思うんですよね。
昔入った時に、この送電線飛ばしたら、名古屋半分停電になるよ、お前らわかってんだろうなって。トチったらこうだよっていう風なことを昔言われたんですけど、あ、名古屋の半分が停電するんだ、この線路。っていうふうなこともありましたね。

浅倉さん

架線工事は一般の方には馴染みがないかもしれませんが、この仕事を知らない人に説明するとしたらなんと伝えますか。

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口で説明するってなかなか難しいと思うもんでね、もしこういう仕事に従事したいと思えば、現場を見るそういう機会を設ける。
今ネット社会なので、こういうことやってますよっていうね。送電業界もそうやって、こういう仕事ありますよっていうのを、現場でできたらなとは思いますね。

小島さん

小学生の頃に、学校に消防士や警察官の方が話に来られたりしていましたが、そういう風にラインマンの方がお話をしに来る機会があっても、こういう職業があるんだなと知るきっかけになりますよね。

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そうですね。そうやって小学校とか行くと、心の片隅に置いておいてくれれば、大きくなった時に、鉄塔に、人が上って、あ、こういうことだったんだっていうことを思っていただければいいなとは思いますね。

小島さん

こういう仕事があるんだよっていうのを、もっと、 ドラマ化みたいなことしてやった方が。でも、人に言うのは、僕の場合はですね、こうやってて、たまに(手を)切る時あるじゃないですか。これで血が出るじゃないですか。これは配電線なんだよ。テレビで手術する時に、 胸開いてこう(手術)やる時に、これが僕たちの方なんだよっていう意味合いでやってるんです。あの、伝える時にね。

浅倉さん

心臓から体の隅々まで、要するに変電所があって、そっから体の、体の隅々までに送ってる仕事が僕たちの仕事で、そこから振り分けていくのが配電線でっていう意味合いでやってるんですけど、大元なんだよ、と。
発電所から変電所へ行く静脈の的な役目を僕たちはやってるんだよっていう風な説明で今おるんですけど、 じゃあ、そこらへんをアピールする場所がもっとあれば、高校の就職、大学の就職する時に、説明受けに行ったりとか、ああいうところも参戦して、そういうチャンスがあればね、やってみたいなとは思いますけどね。
ただ、それをするかどうかだけですよね、あとは。
少しはこう、知ってくださいっていう風にしてもいいのかなって、正直僕は思ってます。それが今回こういう機会に繋がってきてるんじゃないかなと。ところで浅倉さんは、昔から高いところは得意でしたか?

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いや、全然でしたよ。高いとこ登って、あそこ行きたいなって。
まあ、一番最初なんてもう、半分もいかんうちに、しがみついてましたもんね。それが、一日、二日目、もうちょっとその先へその先へっていう間に、どんどん上に行ってっていう風な状態ですよね。
あの、いますよ、たまにむちゃくちゃ、さささ、登ってって、こわないの? 言う人が。まあ、人それぞれなんですけど。僕、高所恐怖症だからとか、 そういう風でなければ。
それが、一日一日と、今日はここまでやったけど、明日はここまで行こうっていう風になって。やっぱり、自分と同世代の子たちがおって、あいつには負けたくねえんだよ、というそういうのもあって。
成長してますよね。一日一日。

浅倉さん

ありがとうございます。次に、一番印象に残っている現場を教えてください。

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一番最初に入って出張に行った鳥羽の現場で、船が電線を引っかけたんです。
それの張り替えで行ったんですけども、船で渡っていく、 向こうの島へ行って...今だったら重機でも持っていけるんだろうけど、スコップとツルで穴掘ったりして...というのが、やっぱり一番印象に残ってますね。最初入った時に。
あ、大変な仕事だっていうのを感じました。

小島さん

もう本当に新人で、入ってすぐだったんですか。その時は、愛知県内に住まわれていたのですか?

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そうです。愛知県で出張で行きました。

小島さん

どれぐらい鳥羽に行かれていたんですか。

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うーん、何か月も行っていましたね。週末には帰ってきたりはしていたんですけども。

小島さん

浅倉さんの印象に残っている現場はありますか?

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僕はですね、岐阜の方の現場だったんですけど、入った時に、昔でいう、ヘリコプターですね、鉄塔ができました、それに線を張る仕事を一番最初ヘリコプターでやるっていうのがすごい印象が強かったですね。えー、ヘリコプターで線張るんだ言って。一番最初のそのナイロンロープなんですけど、 それが一番。最初のその時がインパクトが強すぎて...。

浅倉さん

その時は浅倉さんもヘリコプターに乗ったんですか?

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いえ、僕らはヘリコプターが引っ張ってくる線を受け取る側の方だったんですけど、 ヘリコプターが飛んできたら、民家の人が、あの当時なんで日本の旗を振っていましたね。わ、何かと間違えてるよっていうイメージがありましたね。

浅倉さん

そうですか。鉄塔の上にのぼられてヘリから線を受け取ったんですね。

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そうですね。

浅倉さん

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辛かったというか、厳しかったっていう、現場をひとつあげるとしたら。

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そうですね、岐阜の山奥なんですけども、真冬、新雪の架線でやって、 ヘリで飛んで、それを順番に細いワイヤーから太いワイヤーに変えて電線張ってくんですけども、 1日中間で鉄塔の金車監視に配置されて、1日1人でその鉄塔におって、朝行って、夕方やめるぞって言ったら山降りて...その寒さに耐えるのが大変でした。辛かった思いはありますね。

小島さん

寒い中も作業されますもんね。防寒対策はありますか?

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そうね、どんだけ着ても寒いもんで、自分が鉄塔に一人でおるときは、鉄塔に用もないけど、のぼったり降りたりとか。そういうことはやっていましたね。

小島さん

初めて現場に入られる前は、研修施設などで訓練されてから行くんですか。それとも、もう初めから現場に行かれたんですか。

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最初にシーテックさんみたいに、その期間があって、そこで研修してじゃなくて、現場で初日に行く。縛り方だのいろんなのを覚えて、じゃあやってみようか、その段階で、じゃあちょこっとのぼってみようか、あ、今日はもうそこでいいよっていう順番ですね。
研修鉄塔に行ってやるのもありなんですよ。 シーテックさんとか頼めばやらせてもらえるんです。

浅倉さん

ちなみに、得意な作業などはありますか?

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さっきも言ったように、全部一緒じゃないんですよね、やり方にしろ。同じのがないって言ったらおかしいんですけど、取り付け方だとかそういうのは一緒なんですけど、現場に対していろんなやり方が変わってくるところがむちゃくちゃ面白いですよね。こういうふうにやったらどうだとか。

浅倉さん

それはありますね。山の現場とこういう街中の現場とはまた違いますからね。

小島さん

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やり方を覚えるけれども、基礎を学んだ上での応用ということですか。

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そう、応用ですよね。自分たちで考えて、こうした方がより安全にできるんじゃないかっていう。自分はこう思うと。いろんな意見を聞いて、若い子たちにもう任して、 失敗して、学びますので。

小島さん

失敗したら、終わりですからね。

浅倉さん

ま、そこの、失敗の加減にもよるんですけども。

小島さん

失敗ができないんだけど、その失敗する前に止めるのが僕たちの役目なんで。

浅倉さん

マスターラインマンの。

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そうですね。失敗して事故、怪我すると、 本人も痛いし、人に迷惑かけちゃいかんっていうのが大前提でありますんで。

浅倉さん

今まで大きな怪我をされたことはありますか?

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そうですね。山歩いていて滑落しそうになったことはありますけどね。で、思わずそのロープ掴んで谷底に落ちてかなかったんですけども。 ま、そういう経験はありますね。

小島さん

怪我。大きい怪我はないですね。

浅倉さん

安全対策をちゃんとしているんですね。

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そうですね。スノーボード行って、脚の骨折ったぐらいで。仕事ではそんなことないですもんね。

浅倉さん

話を聞くだけでもヘリコプターだったり、山に1人だったりとか、 スケールが大きいなと。浅倉さんはどうですか。

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辛かったことで言うと、深夜の停電ですね。
どうしても電車だとか、 夜やらないけない時があるんで、もうそん時は、睡魔との戦いですよね。眠たいんですけど、でも仕事はやんないけないっていうのがありまして。
深夜はあんまり得意じゃないですね、今でも。

浅倉さん

何か眠気対策はされていますか。

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あのね、喋るのを止めたら寝ますね。本当に眠気にはもう負けちゃうんで。じっとしとると、まぶたが落ちてくんで(笑)

浅倉さん

仕事中もそうなんですけど、帰りが一番危ないですね。ほっとして、遠い現場と特にですけど、やっぱり、交代で運転するんだけど、誰か起きてないと、みんな寝ちゃうとね。
運転手も眠たいだろうし、と思いながら。夜、深夜作業、ダメ。
夜中は大変ですよね。ラインマンの方は365日どこにいても、 どういうことがあっても、災害があったりした時は、必ずラインマンの方が動かないと、それ以外の方が動けなくなってしまうので...365日、ずっと気持ちは待機されてる感じですか。それとも、やっぱり日常に戻って、いざという時は、というような心構えでいらっしゃいますか。

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そうですね、やっぱり、オンとオフは切り替えてやってますね。

小島さん

ただ、駆けつけるというのは多いですよね。

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