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LINEMAN NETWORK 特別インタビュー
WE ARE LINEMAN Vol.1
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野口善信

Q.休日の過ごし方は?

いろいろと。競輪。

Q.ラインマンになったきっかけは?

うちの父親が土建業をやってますもんで、それで、送電線工事という仕事が来たわけですよ。そこで初めて送電線の基礎の方に携わって、それが原点です。

Q.会社の雰囲気は?

うちら基礎(今は基礎がメイン)と、上の方の工事とまたちょっと違ってるから、往々にして言えないんだけど、なるべく楽しく仕事をやるようにはしているつもりです。

Q.印象に残っている出来事は?

土砂崩れで鉄塔が倒れて、7径間くらい鉄塔や電線が倒れて、建て替えというか、それをやった時ですね。

Q.大事にしてる言葉や格言は?

​「初心忘れるべからず」かな。

平野電業株式会社
野口善信
Noguchi Yoshinobu
1948年生まれ。75歳。富山県出身。1985年に入社。2002年マスターラインマンを取得。
平野博之

Q.休日の過ごし方は?

映画見たり、ゴルフ。

Q.ラインマンになったきっかけは?

うちの祖父がこの会社を最初に始めたので、小さい頃に現場へ連れられていって、その流れですね。

Q.会社の雰囲気は?

うちの会社は、良くも悪くも、自由な会社なもんですから。 肩肘張って、そんな感じもなく。

Q.印象に残っている出来事は?

災害の復旧とかで行く時、2日間寝ずにとか、そういうのもあったもんで、それですかね。

Q.大事にしてる言葉や格言は?

​「手抜きしない」。ってことですね、何事も。

平野電業株式会社
平野博之
Hirano Hiroyuki
1972年生まれ。51歳。富山県出身。1993年に入社。2023年マスターラインマンを取得。

マスターラインマンになって変わったことは?

野口

まあ、与えられた仕事を正確に順調にやっていくいう、安全でやっていくいう感じですね。うん、 それしかないと思う。

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この仕事のいいところは?

​平野

工事終わった時は、綺麗な線とか見たらやりがいにできますけど。

この業界は、仕事が終わったら終わりっていう、会社会社してないというか、ちょっと特殊だと思うんで。そういうところも若い子はいいんじゃないかな。終わりっていったらもう終わりで、定時までおらんないかんとか、そういうのはあんまりないんで。会社会社してないというかね、昔ながらというか。

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インタビュー動画はこちらから
​フル版
ダイジェスト版
Vol.2はこちらから

マスターラインマンが語る、ラインマンという仕事。

まず、先輩マスターラインマンの野口さんから、自己紹介をお願いします。

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はい。平野電業所属の野口善信です。

野口さん

ありがとうございます。平野電業さんでは、どのような立ち位置で、どのような仕事をされていますか。

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今は鉄塔に上らないので主に土木の方で、若い衆をちょっと面倒見るような、そんな感じです。

野口さん

では、新しくマスターラインマンになられた平野さん、自己紹介をお願いします。

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平野電業所属の平野博之です。

平野さん

平野電業さんでは、平野さんはどのような立ち位置で、どのようなお仕事をされていますか?

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私の方は、鉄塔建て替えとか組み立て、それと電線の張り替えなど、送電線全般、ですね。

平野さん

ありがとうございます。それでは、順番にお話を伺っていきます。 まず、ラインマンになったきっかけというのを教えていただけますか?

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うちの父親が土建業をやってますもんで、それで、送電線工事という仕事が来たわけですよ。そこで初めて送電線の基礎の方に携わって、それが原点です。

野口さん

それは、今から何年前ぐらいのことでしょうか?

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50、60年近く前かな。

野口さん

初めてそういう仕事をやってみて、そこから、もうそのまま平野電業さんに入られたのですか?

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いや、うちの親父が「野口組」というのをやっとったもんで、そこに20年ばかりやってまして、そのあと、平野電業へ入りました。

野口さん

平野電業さんに入られた時の思い出などは何かありますか?

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うーん、思い出というか。自分は親父が死んで、仕事が取れなくなったもんで、平野さんにお願いして入れてもらったわけです。

野口さん

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では、平野さんのラインマンになったきっかけを教えてください。

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僕はですね、うちの祖父がこの会社を最初に始めたので、
その頃は家族全員で現場行って、泊まって、そういう状態だったもんですから、小さい頃に連れられていって、その流れですね。

平野さん

家業の流れっていうのがお二方に共通しているというか、元々、お父さんやおじいさんがされていた仕事を、そのまま引き継がれていっているということですね。

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そうです。

二人

平野さんはどのタイミングで、手伝おうというか、自分もその道に行こうと思われたのですか?

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はい。一回他の会社に勤めたんですけども、ちょっと合わないなということで、(平野電業に)お世話になることになって、それからです。

平野さん

でもやはり、ご実家の家業をなんとなく見て育っているということですよね。

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そうですね、はい。

平野さん

やっぱり自分が動きやすかったっていうのはありましたか?

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うーん、今考えると、そうですかね。

平野さん

次の質問です。「ラインマン」と言っても、 例えば、基礎を作る方とか、鉄塔を組み立てる方とか、架線工事をする方とか、結構それぞれにいろんな仕事がありますよね。
今、野口さんがされている仕事は、ラインマンの仕事の中でどこの部分を担っていらっしゃるのですか?

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何もないとこから穴を掘って、それで基礎材を入れて、コンクリして、それで(鉄塔を)作る仕事です。

野口さん

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そうなんですね。一度私は鉄塔の現場を見たことがあって、基礎を作るのは本当に大変だなと感じました。
それでは、野口さんは基本的には富山の土地土地の鉄塔の基礎を作られているのですね。

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うん、僕は、東北電力、東京電力、中部電力と、若い頃、そっちばっかり行っとった。

野口さん

じゃあ、北陸にいないことも多かったんですね。

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全然北陸にいなかったです。20年ぐらいは。
平野電業に来てから、北陸で仕事をするようになった。

野口さん

そうでしたか。最初は全国の鉄塔の基礎と組立を。

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そうです。全国で揉まれてきました(笑)。

野口さん

そして今は北陸の鉄塔の基礎を作られて。

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そうです。まあ、穴掘りが好きです。 機械で穴掘り好き。出来上がってくから。

野口さん

では平野さん。ラインマンの数ある仕事のうち、平野さんはどのようなことをされていますか。

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私は主に野口さんの基礎ができた上から、鉄塔組み立て、 電線張り替えが主です。

平野さん

じゃあ鉄塔を地組みして、碍子を吊るとか、線を張るとか。組み立てもそうですけど、そういうことを平野さんがされているんですね。

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はい、そうです。

平野さん

平野さんは、元々高いところは得意だったんですか?

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もうのぼったら、のぼれたっていう感じですか。じゃあ得意なんですね。

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うん、まあ、その日に鍛えられたもんで。先輩に。

平野さん

自分も若い頃は上ばっかり上ってました。全然平気でした。高校時代からのぼってたから、アルバイトで。

野口さん

若い頃からやっていると、もう当たり前になっていくんですね。

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そうそうそう、15歳ぐらいからやっとると、もうそういう子おるもんな、うちに。2人ぐらいおるよな。

野口さん

ちなみに、今日、後ろにボルタリングがありますけど、これは、会社で運営されているということですが、 お二人もされるんですか?(※インタビュー会場が平野電業(株)が運営するボルダリングジム「レトラス」)

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いやいやいやいや…今日来てやったけど。

野口さん

これからボルタリングやってみようかな、とかは特に?

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いや、特にないね。やると、どっか(体が)いかれる。

野口さん

ちなみに今1番若い人って何歳ぐらいですか。

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19か。高校出て2年目やな。これ(ボルダリング)やっとる。名古屋から来た人。

野口さん

でもボルタリングをやっている人がラインマンになって、その人がボルダリングでオリンピックに出て……となったら、夢がありますよね。

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まずないと思う。仕事と違う。これと仕事と違う。全然違う。

野口さん

でもまあ、そういう人も現れる可能性もあるので、なんか期待したいですね。

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うん、今のとこ、いないけど。

野口さん

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ところで、野口さんは仕事で今までで一番印象に残っている出来事、ふっと振り返って、あの時のことは思い出すなあという現場はありますか?

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そうだね。鉄塔が倒れて、150mの鉄塔を建て替えたのが印象に残っていますね。

野口さん

それは、どのような状況だったのですか?

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土砂崩れで鉄塔が倒れて、7径間くらい鉄塔や電線が倒れて、建て替えというか、それをやった時ですね。

野口さん

何年くらい前のことですか?

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あれは大体、20年位前かな……

平野さん

そや20年位経つ。

野口さん

土砂崩れで、鉄塔の山が崩れてしまったんですか。

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うん。1基、鉄塔が倒れたの。その連鎖反応で、他の鉄塔もアームが折れたりした。 それはちょっと印象に残ってますね。

野口さん

あ~。急斜になっているから、1基倒れると他も影響を受けるということですか。

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そうそう、線があるでしょ。それで引っ張られて。

平野さん

線があるから、連鎖反応でそこらへん3基、4基って全部、引っ張られる。電線が国道へ全部ばさーっと落ちて。

野口さん

大変だったという印象ですか。

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んー、まあ、そういうことですね。

野口さん

それはどれくらいで復旧できたんですか?

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6ヶ月ぐらいじゃなかったかな。

野口さん

その時、平野さんは?

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いました。

平野さん

一緒にいらっしゃったんですね。平野さんもその時は大変だったなという。

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うん。そうですね。エイプリルフールやったから嘘かと思ったけど、その倒れたのがもう、すごい鉄塔で。

平野さん

不勉強なのでお聞きしたいんですけど、その6か月間の間は、その地域は電気が通らないっていう状態がずっと続くんですか。

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そうそうそう。

野口さん

じゃあ、すぐ現地に行かれて、6ヶ月間、ずっと作業ですか。

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そうですね。民宿に泊まっとったです。羽咋(はくい)の民宿に。

野口さん

では、次に平野さんの一番印象に残っている現場を教えてください。

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今の野口さんのもあるんですけど、やっぱり災害の復旧とかで行く時、2日間寝ずにとか、そういうのもあったもんで、それですかね。

平野さん

これは本当に身に染みて思うんですけど、ラインマンの方たちに出会わなかったら、災害復旧って、当たり前にできているような感じで我々過ごしてきてしまっていて、でもやっぱりいつ何時でも、北陸圏内で何かあった時には、すぐ駆けつけなきゃいけないっていう状況下にはあるんですよね。

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そうですね。

平野さん

で、即座に復旧させるっていうことを平野電業さんでもやられているということですよね。ところで、新人の頃に、辛かったな、とか、これが毎回、実はちょっと辛いなということは何かありますか?

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ま、辛い言うより、先輩がものすごい腕がいいもんで、それについていかにゃなもんで、 それに負けずにやった記憶がありますわ。うん。辛いことはあんまりなかったね。 うちの仕事やから。

野口さん

平野さんは?

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うん。僕も辛いとかはないですけど、20歳そこそこで、もう体もできてないもんで、毎日ついていくのがやっとでした。

平野さん

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イメージでは、僕も研修鉄塔に上らせてもらった時、立っているのもやっとだったのですが、それをおふたりは日々されているわけで。恐怖とか、そういうものは感じないのですか?