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LINEMAN NETWORK特別インタビュー
WE ARE LINEMAN Vol.7
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小野寺 周司
​株式会社三浦組
 

Shuji Onodera

1963年生まれ。気仙沼出身。1982年度入社。
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Q.大事にしている言葉や格言は?

昔思っていたのは「七転び八起き」。

失敗しても頑張っていくんだぞという

気持ちで作業をしていました。

なぜ自分がマスターラインマンになったのか、

よくわかりません。ただ、長年やってきて

何か良いこともあったのかな、​少しでも

貢献できたかなという気持ちでいます。

Q.マスターラインマンになって。

これまでは現場で机上職でしたが、

今は嘱託という形で現場に出て、後輩の指導のもとで作業をしております。

高校の時に野球部だったのですが、

その時の監督が今の会社と知り合いで。

当時は船乗りになろうと水産学校に入りましたが、

三浦組を会社訪問し​入社に至りました。

Q.ラインマンになったきっかけは?

Q.現場で働いている人へ向けて

「安全最優先」でコミュニケーションを

よくとって、事故のないようにして

もらえればなと思います。

Q.初めて行った現場は?

女川幹線という幹線の工事現場に、総括班長に

連れられて見学に行きました。

自分で初めて鉄塔に昇りに行ったのは新潟。

最初はやっぱり怖かったです。

Q.今はどんな仕事をしていますか?

髙橋 晃
​株式会社三浦組
 

Akira Takahashi

1976年生まれ。 松島出身。1998年度入社。
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みんなでいいものを作って、電力さんに

お返しできた時って、達成感が喜びに

繋がるのかなあと思います。

Q.この仕事のいいところは?

Q.今はどんな仕事をしていますか?

総括班長やら、各班の班長などを

​任されてやっております。

高校が野球部で、その中に親御さんが

​三浦組の(おそらく)部長さんがいて、

​「一緒にやらないか」と声をかけられて

入りました。

Q.はじめての現場は?

私、最初は高所恐怖症だったんです。

同期の中で自分だけ昇れていない悔しさ、負け

たくない気持ちがあって、徐々に昇れるように。

​怖いなって思うのは毎回だと思います。

Q.ラインマンになったきっかけは?

Q.マスターラインマンになって。

私ひとりの力は小さいと思うんですけれど、

みんなの協力があって、この称号を取れたのかなと。

だからやっぱり、みんなのおかげなんですね。

仕事の話ばかりじゃなくて、趣味であったり、

その子の何が趣味なのかというのを聞いたり。

話題を作って話を聞くというのが大事かなと

思っています。

Q. 若手との向き合い方は?

この仕事でいいなと思うところは?

送電線ができた達成感。

仕事を覚えて、自分でできるようになって、先輩にも褒められて、

そして後輩ができたら後輩にも教えて・・・という形で、

送電線を全部作ったという達成感はあるんじゃないかなと思いますね。

 

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大切にしていることや言葉は?

怪我をしない、させない

今日一日に対して、

「怪我をしない、周りのみんなにもさせない」というのは

毎日思っていることですね。

 

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はじめに、自己紹介をお願いします。

小野寺さん

株式会社三浦組に所属しております小野寺 周司と申します。

マスターラインマンには平成19年に(拝命)いたしました。

出身地は宮城県気仙沼市になります。

それから43年間、今の仙台市で仕事をしています。

髙橋さん

同じく株式会社三浦組の髙橋 晃です。

マスターラインマン(の称号)は令和元年にいただきました。出身地は松島です。

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ありがとうございます。

おふたりがラインマンになったきっかけを教えてください。

小野寺さん

私は高校の時、野球部だったんですね。

その野球部の監督が今の会社(株式会社三浦組)と知り合いだったということでしたが、

(当時は)船乗りになるつもりで一応水産学校に入りました。

でも、船に乗るのも、出張したりするのも、同じじゃないかということで今の会社を

勧められて、それで会社訪問し、その後で入社に至り、今の送電工事に携わっております。

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当時はやはり、先生からの紹介というのが多かったのでしょうか。

小野寺さん

そうですね。

私の場合は、私ともう一人、今の会社に入ったんですけれども、

私一人が(継続して)残ったという形です。

あと、多分今もその監督は後輩を紹介していると思います。

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気仙沼といえば、水産業が盛んな街として有名ですよね。

紹介されて入ってきた後輩は、入ってきたらわかりますか?

小野寺さん

その監督が別の高校に異動してしまったので、今は多分そこから入ってきているんじゃないかなと思います。

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共通の知り合いがいるから、最初の会話はしやすいかもしれないですね。

「先生のこと知っているよ」と。

髙橋さんのきっかけは、なんでしたか?

髙橋さん

私も高校が野球部だったんですけど、その部活の中に親御さんが三浦組の当時部長さんだったか、

そんな方がいまして、それで5人ほど「一緒にやらないか」と声をかけられて、入りました。

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その5名は今も三浦組さんにいらっしゃいますか。

髙橋さん

今は3人残っています。

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ではそのお三方とは現場が一緒になったりとか。

髙橋さん

今日も一緒です。

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そうなんですね。同期の存在は継続する上で心強いですね。

今、おふたりがやっている仕事内容を教えてください。

小野寺さん

私は2年前に60歳になりまして、それまでは現場で机上職というような感じでやっていたんですけれども、今は一応会社を退職になりまして、嘱託という形で今は現場に出て、

後輩の指導の下で作業をするというのが始まっております。

髙橋さん

私は総括班長やら、あとは各班の班長などを任されてやっています。

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少し昔を思い出していただきたいのですが、ご自身が初めて行った現場って覚えていらっしゃいますか?

もし一番最初の現場を覚えていなければ、一番インパクトのあった現場でも構いません。

小野寺さん

私が一番最初に行ったのは、女川原子力発電所がありますよね。

そこの女川幹線という幹線の工事をうちの会社がやっておりまして、その現場にそこの総括班長に連れられて行きました。

見学という形でしたが、そこで初めて送電の仕事を見ました。

あと、自分自身が初めて(見学ではなく)行ったのは新潟です。

新潟に行って、初めて鉄塔に上がりました。

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鉄塔は上まで昇られましたか?

小野寺さん

昇りました。電線にも乗りました。

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その時はどう思いましたか?

小野寺さん

いや怖かったです。

「本当にできるのか」と震えていました。

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初めて仕事をしてみて、どんな風に思いましたか?

想像していたのと違うなとか、聞いていた話と違うな、聞いていた通りだったなとか。

小野寺さん

鉄塔に、高いところに上がるというのは分からなくて、最初はやっぱり怖かったです。

「やっていけるのかな」というような気持ちにはなりました。

ただ、やっているうちに慣れてきて、だんだんできるようになってきたので、楽しくなってきたのかなというのもあります。

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どのタイミングぐらいから怖くなくなって、前向きになっていかれたのですか。

小野寺さん

3年やってもまだ怖い、という意識はありましたけれども。

3〜4年経ったら、高いところは怖いということはなくなりました。

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怖いなと思っていたところから、自分の気持ちの切り替わりが、どこかであったのですか。

小野寺さん

いえ、慣れです。

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新潟の初めて行った現場は、やっぱり自分の思い出に結構残っていますか。

小野寺さん

う〜ん。42年前ですからね。うっすらとは覚えています。

紅白の鉄塔だったのは覚えています。

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髙橋さんはどうでしたか?

髙橋さん

私、高所恐怖症だったんですよ。最初。

同期が5人いる中で、私は3mも上がればもう手足が震えて。

そんな中で、ちょっと「部署を変えてくれ」とも言ったんですけど、

当時の上司に相談をしながら、「何とか仲間で頑張ってもらえないか」と。

悔しいというか、競争じゃないんですけど、負けたくないとか、そういった気持ちの中でやってきましたね。

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その後、行けるぞとなったタイミングとか、切り替わるきっかけとか、克服する何かがあったのですか?

髙橋さん

当時、高校の同期が5人いて、他の同期がいろんなところから4人ぐらい入ったりしたんですよね。

その中で自分一人だけ鉄塔に昇れていない状況で悔しさもあったり、

負けたくないなという気持ちもあって、徐々に(昇れるようになっていって)。

期間が空くと、(同期の中でも)先輩後輩じゃないですけど、何をやったらいいのか分からない状況も出てきて、聞きながらやるんですけど、その中でもやっぱり負けたくないなと思いながら仕事に携わっていました。

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昇れるようになってから、またちょっと怖いなと思う時はありましたか。今もありますか。

髙橋さん

怖いなって思うのは毎回だと思います。

慣れたらいけないなとも思っています。

やはり一歩間違えれば大きな怪我にも繋がることだから。

怖いっていうのは大事かなと思っています。

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まさに「継続は力なり」だと思いますが、小野寺さんは平成19年に名誉マスターラインマンに、

髙橋さんは令和元年にマスターラインマンとして選出されましたが、お二人にとって「マスターラインマン」とはなんでしょうか。

私たちのイメージだと、勤続年数が長く経験があって、いろいろな作業員の方たちの見本になるということかなと思います。

そのイメージ通りなのか。どうして選ばれたのだと感じていらっしゃいますか。

小野寺さん

う〜ん、なんなんでしょうね。やはり、工事に携わってきて、何かしらいいことがあったのかなと思うんですけれども。

推薦されたということはあるんですけれども、私はなんで自分がマスターラインマンになったのか、よくわかりません。

ただ、なにかかにか良いこともあったのかな、良いことをしたのかなというような気もしておりますけども。

長年やってきて、やっぱり少しでも何か貢献できたのかなという思いでいます。

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他のマスターラインマンの方たちも、「どうして自分が」という風に思われる方が多いようですけれど、なっている方たちはやはり、ひとつ何か皆さんの見本になっていたり、

長い年月ずっと変わらずに一生懸命仕事をやり続けている方が多いと感じます。

髙橋さんはいかがですか?

髙橋さん

私ひとりの力は小さいと思うんですけれど、やっぱりみんなの協力があって、

このマスターラインマン(の称号)を取れたのかなと思っています。だからやっぱり、みんなのおかげなんですね。

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おふたりの謙虚さや感謝の気持ち、素晴らしいと思います。

周りの方たちにマスターラインマンだと認知された時、何か今までとちょっと変わったことはありましたか。

小野寺さん

私はないですかね。

ただ、やはりちょっとは信頼されるのかな、という気持ちではありましたけれども。

そんなものですかね。

髙橋さん

今まで通りです。マスターラインマンだからどうのこうのじゃないと思うんです。

やっぱりひとつひとつの現場があって、それをみんなでちゃんとこなしていこうというのが一番大事なことであって、

「マスターラインマンだから」というのは、ちょっと違うのかなとは思いますね。

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いろいろな業種、業態の方と出会うことがありますが、ラインマンのお仕事をされている方たちは特に「自分たちがあれやった、これをやった」というふうに言わない方がすごく多いですね。

私たちから見ると、電気がなぜ使えているのかとか、そういうことって正直業界に触れるまであまり考えてきませんでした。

例えば停電になったらどうなるとか、断線したらどうなるというのはずっと分からなくて生きてきていました。

鉄塔を建てるとか、電気を通すとか、停電時に復旧させるなど、これだけ生きる人にとって欠かせないことに携わっていながら、それに携わる方はとても謙虚でいらっしゃる。それってなぜだと思いますか?

髙橋さん

要は、ライフラインを守るというのは当たり前って思っていますし。

我々はライフラインを繋げていく仕事をしているというのを自負はしていますけど、

あからさまに「どうだ!」という風には思わないですね。

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小野寺さんはいかがですか?

小野寺さん

同じですね。やっぱり俺らが行くから、電気が通るんだぞとははっきり言って言わないです。

俺らがこうやって電気を復旧させたんだぞ、というのは言ったとしても分からないので。言っても仕方ないことだと。

もちろん仕事なので、厳しくやっていますけれども、その辺を人に話すということはないです。

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私はいつもこの仕事にもっとスポットライトが当たればいいなと思っています。

やっている方の姿がすごく格好良いのに、外側から見えていないことが多くて。

例えば警察官が日々、市民の命を守っていたり、救急車や消防車など人の命に携わる仕事がありますけど、

そこと同じラインに、実はこの仕事の立ち位置があるんじゃないかなと思っています。

 

様々な経験をされてきたおふたりですが、日々、心がけていることは何かありますか。

ルーティンで毎日新聞を読むとか、鉄塔に昇る時には必ず何かを持っていくとか、そういうものはありますでしょうか。

小野寺さん

昔は、朝起きたら靴下を履く時は左から履くとか、色々やってみましたけれども、

長続きしませんでしたので、特段決めてはいません。今も引き続き、何もしていません。

髙橋さん

鉄塔に昇る前には、やっぱり安全用具の身の回りの確認してそれから上にあがりますかね。

大丈夫かどうか。落下防止道具のフックが開いてないかとか、その辺が大事かなと思っています。

それが終わってから塔上の方に入るようにしています。まあ今は滅多に上がらないんですけど。

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ありがとうございます。

おふたりの座右の銘や、何か大事にしている言葉など何かありますか?

たまに辛い時こういう言葉を思い出すとか、この歌を思い出すとか。

小野寺さん

私が昔思っていたのは「七転び八起き」ですかね。

やっぱり失敗しても頑張っていくんだぞという気持ちで作業をしていました。

今は半分、人に任せたという感じもありますけれども。

そういう気持ちで、昔はやっていました。

髙橋さん

今日一日に対してでもいいですか?

だったら、「怪我をしない、周りのみんなにもさせない」というのは毎日思っていることですね。

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送電の世界は、一歩入ってみるとすごく素敵だなとわかるんですけれど、

一歩離れて、よく知らない方からみると、”3K”ともよく言われたりしますが、

「ちょっと危なさそうだな」などというイメージがついて回ってしまっている気がします。

 

そんな中、おふたりにとってこのお仕事で、何かいいなと思うことはありますか。

小野寺さん

やっぱり自分たちがやって、この送電線がこういう風にできた、というところには達成感があります。

仕事的にも、やっているうちに楽しくなるということはあるんじゃないでしょうかね。

仕事を覚えて、自分でできるようになって、先輩にも褒められて、

そして後輩ができたら後輩にも教えて・・・という形で、送電線を全部作ったという達成感はあるんじゃないかなと思いますね。

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そうですね。作って保守する、最後は守っていくというところもありますよね。

小野寺さん

鉄塔を維持して、10年経ったらまた点検したりとか、そういうこともあります。

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今と昔では、少し現場の内容も変わってきていらっしゃると思うんですけど、

比べてみて、ここが良くなったよねというところはありますか。

今の若い方たちにとっては、それが普通になっているわけですが、先輩マスターラインマンのおふたりにとっては、それが多分普通じゃないところからの変遷を見てきて、今に適応されていると思うので。

小野寺さん

そうですね。やっぱり「休み」ですかね。

私が若い頃は30日、60日ぶっ続けで仕事をした。

休みなしで仕事をしたというのは、結構当たり前にあったので、その頃は俺らも休みが欲しいなどとは言えなかった。

今はやっぱり、労働基準監督署もあり、絶対休みは取らなければいけないので。

ただ、停止工事とかになると、日曜日とか、人の会社が休みの時に仕事をするという感じはあるんですけれど。

基本的に休みがあるのはやっぱり、一番いいんじゃないですかね。

給料面は何も言えません(笑)。世の中の人がいいと思うかもしれないですけど、自分はそうは思いません。

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でも改善として、もし仮に給料が良くなっていくという現状があるならば、未来は明るいと思いますか?

小野寺さん

そうですね。明るいと思います。

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今、”3K”と言われているのが、”新4K”というのに変わっていくと思います。

格好いいとか、希望があるとか、給料がいいとか。

髙橋さんから見て、昔と比べてここが良くなった、あるいはこの仕事のこんなところがいいよ、ということはありますか。

髙橋さん

難しい仕事をやった時の達成感とか。

みんなでいいものを作って、電力さんにお返しできた時って、達成感が喜びに繋がるのかなあと思います。

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「きつい」とか「汚い」とか、「給料が低い」などと言われたりもしますが、当時から今はそこは変わってきていますか?

髙橋さん

私たちの仕事はやはり外での仕事なので、天候に左右されるじゃないですか。

その辺はどうしても変わりようがないわけですよね。

ただ、今は雨具にしろ、カッパも良いものもありますから。

会社で支給した時もあったんですけど、その辺をもっと毎回やっていただけたらいいのかな。

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この点を良くしたら、もっと送電の未来が明るいなと思われることがもしあれば、教えてください。

髙橋さん

今、鉄塔の昇降機とか、いろいろ改善されているじゃないですか。

我々が鉄塔に昇る時って、自分の手と足で上がるんですけれど、今は昇降機という、モーターで一気に上まで上がる機械があるんです。

そういったものをよく取り入れていただいて、いくらかでも身体の(疲れの)軽減とか、そういうのもあるといいのかなって思っていましたね。

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とある会社さんでは、男性でも育休が取れたり、現場はなるべく実家や自宅に近いような場所にしたりとか。

あと今まで蛸部屋で眠っていたのが一人部屋になったとか、そういう話は聞きますね。

二人

それはありますね。昔は本当にひどかった(笑)。

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髙橋さん

20人の大部屋とか。

本当に(昔は)大変だったのが、今は一人部屋が基本。

その辺がやっぱり若手の人はどうしても、朝「おはようございます」から、

夜「おやすみ」まで同じ顔の人が24時間いたら、ちょっとね。

心が痛くなるのかなと。その辺は良くなったなと思います。

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“飲みニケーション”といったように、飲んで、みんなで騒いで仲良くなるようなコミュニケーションが昭和の時代は主流だったと思いますが、最近は飲まない若者が増えていたり、すぐ帰りたいなど、コミュニケーションが取りづらくなっている部分もなきにしもあらずです。

どちらがいいかというのはちょっと置いておいて、その分、若手の方たちとのコミュニケーションの変化は何かありますか?

小野寺さん

私も今まで外の現場にあまり出てこなかったので。

だからその辺のコミュニケーションは取りづらかったのかなとは思いますね。

今の子は、はっきり言って何を考えているのか私にはわかりません。でも分かろうとはします。一応話はします。

話はするけれども、やっぱり右から左へという感じで、ちょっときつい、私には。年も年なので。

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髙橋さんはどうですか?

髙橋さん

仕事の話ばかりじゃなくて、趣味であったり、その子の何が趣味なのかというのを聞いたり。

キャンプとかパチンコとか「どうだったの」と聞いたり、車のいじりが好きな子にはその辺の話をしたり。

話題を作って話を聞くというのが大事かなと思っています。

じゃないとやっぱり、温度差があると思うので。

そこでキュっとなるのかなと思います。

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語弊があったら申し訳ないのですが、多分昔は、どの業界でも昔の上司の方たちは

部下や後輩の意見を聞く、聞いてあげようということが少なかったと思います。

部下は上司に従う、という流れがずっとあった。

けれどおふたりとも「話を聞こう」というスタンスになっています。

そう思われたきっかけは、そのような上司の方がいたからですか?

それとも自分から聞いていこうと思われたのですか。

小野寺さん

昔は昔のやり方があったので、やはり仕事だと「自分で見て覚えろ」ということで教えてくれませんでした、あまり。

聞けば教えてくれるんですけども、こっちも意地があるので聞かなかったりしました。

それで今自分は若手と年が随分離れているのでね。

聞こうという気持ちはあるんですけれども、昔ほど飲むこともなくなったので、その辺がちょっと自分的には厳しいところですかね。

髙橋さん

私の時もやはり誰も教えてくれなくて、「見て覚えろ」なんですよ。

ただ、それが今の現状に通じるわけじゃないので。

ましてや、今の子供たちって言っていいのか・・・もう私の子供と一緒ぐらいの年齢なんですよ。

やっぱり自分の子供を見ていると、昔の人間と今の子供は違うなって思うので。

愛情じゃないですけど、手取り足取りじゃないですけど・・・こうだよ、ああだよ、

こうしないと危ないんだよということを言ってあげないと分からないのかなというのがあるから。

その辺は気にしながら接していますね。

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ちなみに今日お二人、若手の社員が来ていますが、

大先輩から見て今のお二人はどんな風に見えていますか。

髙橋さん

自分の子供と同い年ぐらいなので、やっぱり可愛さもあり、怪我をしてほしくないから、

ちょっと強めの口調で「危ないからね」と言ったり、そういったこともあります。

コミュニケーションもよく取って、「こういったことも気をつけてやるんだよ」とか、

わからなかったら、先輩に聞いて、ちょっと上(の仕事)と下(の仕事)だと、

塔上に上がっている方だったらちょっと分からないことがあったら下に聞くのもあれなんですけど、「聞きな」とか「教えてやってよ」と声かけをしていますね。

とても素直ないい子達です。本当に。

小野寺さん

私からすれば本当に、孫みたいな、孫ぐらいの年齢なんですけれども。

入った当初はまだ私も机上職だったので。

(彼らを見ると)よくよく頑張ってやっているなと。

仕事の方も結構覚えてきて。

まだ分からないことはあると思うんですけれども、その辺は聞きながら一生懸命頑張ってもらいたいなという風に思います。

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違う時代を生きているからこそ、こちらから歩み寄ったり、何を考えるか聞いたり、敢えて言葉にして伝えていくことも大事ですね。

次の質問です。株式会社三浦組はどんな会社ですか?

小野寺さん

私の入った時には先代の社長がいました。

そして二代目が今の会長。その息子が三代目で、今の社長です。

その三代目は、私が入った時はまだ小学校4年生でした。

その頃から一応(今の社長のことを)わかっているんですけども、昔は昔、今は今という形で、

今の社長は一生懸命取り組んで頑張っている会社だなとは思います。

いつも「安全最優先」という言葉で会社として取り組んでいるので、

私も「安全最優先」で仕事をしていきたいなという気持ちでいます。

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髙橋さんはいかがですか?

髙橋さん

やっぱり現場内でコミュニケーションが非常に良い会社かなと思っているんです。

それに伴って、やっぱり会社自体が風通しの良い会社になっているのかなと思っています。

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株式会社三浦組さんは世襲制というか一子相伝というか、お子さんたちが代々社長になっていくのですか。

二人

はい、そうです。

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名誉マスターラインマンの小野寺さんは、髙橋さんの先輩にあたると思うんですけど、

髙橋さんに対して今後のアドバイスのようなものがありましたら、ぜひ教えてください。

小野寺さん

うちの髙橋は面倒見のいい男ですね。

そして人の意見をよく聞いて、自分でもよく考えて、今も一生懸命頑張ってやっているので、私はそれに今はついていっているので。

だから今のまま、後輩の面倒を見てもらって、いい仕事をしてもらって、

みんなを引っ張ってもらって、コミュニケーションをよくとってもらって、

やっぱり良い親方でいてもらいたいなという風に思います。

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髙橋さんは、今の立場になってみて、初めてわかることもあると思うのですが、

例えば会社に入って、普通の会社でいうならば係長になって、部長になってというような。

平社員の時に部長を見ていた目があるとすれば、自分が部長の立場になって初めて気づくこともありますよね。

令和元年にマスターラインマンになられて、今、先人のマスターラインマンの方たちに対してどういう風に思われますか。

こういう大変さがあったのかとか、気持ちが引き締まったとか。

髙橋さん

築いてきたものがあると思いますので、それに負けないように。

傷付けないようにというか、言い方がちょっと違うと思うんですけど・・・

それを守っていくというのもあったんじゃないかなと思います。

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確かに、脈々と受け継がれてきたものを、これまでのマスターラインマンさんたちも守ってきていたからこそ、これからも大事にしていくということですよね。

 

日頃神経を使うお仕事をされているわけですが、オフの日には、どのように過ごしていますか?

小野寺さん

今はもう、ゆっくりしています。昔は、仕事が終わればパチンコに行っていました。

随分負けました。生涯負けです。今はやらないので。

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髙橋さんはオフの日どう過ごされていますか?

髙橋さん

パチンコもやったんですけど、最近は車をちょっといじったりとか。

軽トラがあるんですけど、軽トラのマフラーを替えてみたり。あとハンドルカバーを付けてシートを変えてみたりとか、自分でできるようなことをちょっとずつやっていますね。

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今、現場で一緒に働いている人たちに対して、先輩として何か一言、「安全に頑張れよ」とかでもいいのですが、アドバイスなど伝えられることはありますか?

小野寺さん

今はもう言える立場ではないので、「安全最優先」でコミュニケーションをよくとって、

事故のないようにしてもらえればなと思います。

髙橋さん

気配りと目配り。あとは気付いたら話してもらって。

「気づく」、「話す」、「直す」という言葉があって。それいいなと思っていて。

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それは東北電力さんの掲げた言葉ですか?

髙橋さん

そうです。

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最後の質問です。

このインタビューはLINEMAN NETWORKというサイトに掲載されますが、未来にラインマンになるかもしれない人たちが見る場所なんです。

実際、(LINEMAN NETWORKで)鉄塔カードを販売したあと、ある女性がそれがきっかけで電力さんに就職したこともありました。

ということで、未来にこの世界に入ってくるかもしれない人たちに向けて、何か一言いただけますか。

小野寺さん

ライフネットワークを支えていくために、若者の力を貸してもらいたいなと。新しく入ってくる人たちにお願いしたいです。

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今の「力を貸してほしい」という小野寺さんの言葉は、多分今の時代じゃないと出てこなかった言葉なんじゃないかなという気もしました。

小野寺さん

そうですね。昔だったら言っていなかったかもしれない。

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でも若い人たちの目線まで何か一緒に感じてくれているような気がして、私はすごく素敵だなと思いました。

髙橋さんはいかがですか。

髙橋さん

ライフラインに関わる仕事ですから、自信を持って携わってね、というか。

他の人がやってやれないような仕事なので、誇りを持ってやってもらいたいなと思います。

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本日は貴重なお話をありがとうございました。

二人

ありがとうございました。

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